小川景一の両親は幼い頃に離縁し、引き取った母親も高校生になったばかりの頃、病気のためこの世を去っていた。
母親の死後、実の父親が景一を引き取ると出張ってきたが、母方の祖母がそれを強く反対し、示談の末に母親の親戚夫婦に引き取られることとなった。
そんな中学・高校と学校を二転三転した景一にはあまり親友と呼べる相手が居ない。
家庭の事情や大人の意向でめまぐるしく変化する周りの環境が、景一に一種の人間関係に対する虚脱感を覚えさせたからだ。
最後の転校の後、二年ばかり通学した長野のいわば田舎の方にあるごく少人数の高校でさえ、知り合いを作るどころか進んで教室の隅に居た。
高校卒業と同時に、既に決まっていた東京の大学の近くに部屋を借り、一人暮らしを始めた。
表では「遠慮はいらないよ」、と常に声をかけていた親戚夫婦や同じ住まいのその家族も、実を言うとあまり歓迎しては居らず、裏では影口を叩いている、といった具合の生活であったので、景一としては高校まで修学したらいち早くその家を出たかったからだ。
実の子ではない家の者が出て行ったのがせいせいしたのかどうかは分からないが、仕送りだけはそれなりの額を律儀に送ってきた。
が、それ以外はロクに連絡も無く、しかし景一自身も迷惑を掛けて来た、と自覚があったのか毎月親戚の下に手紙を出してはいた。
片親の下で育った生活が長かったため、また親戚に引き取られた後も家事の手伝いを進んでやっていたために料理の腕には自信があり、借家近くの夫婦が営む小さな居酒屋にアルバイトを志願した。
「見ての通り狭い店でね、アルバイトは雇わないことにしているんだよ、スマンな若いの」と一度は帰された。
見るからに仲の良さそうな笑顔の絶えない年配の夫婦が営むこの店は、昼のランチタイムや夜の書き入れ時であってもそれほど混まない代わりに、二人の人柄を慕ってだろう、常連のお客さんが多く、常に人の絶えることは無かった。
景一も「このご夫婦の中に割って入るのは野暮というものだ」と働くことは諦めたものの、やはり優しげな二人の作る店の雰囲気と、何故かほっとするその懐かしい味に惹かれ、通い詰めた日が続いた。
もう常連と言える程になったそんなある日、くたびれ鉛のように重い身体を、閉店間際のいつものお店に寄せる。
珍しく他に客は居なかった。
店の奥さんが暖簾を下げた後「いつもご贔屓に、ありがとう。ゆっくり食べていって下さいね」と頼みもしなった料理まで出してくれた。
ふと目の前のグラスの輪郭が滲む。
そんな奥さんの優しさに、目頭が熱くなって涙がこぼれた。
ふと今まで遠く忘れ去られていた感覚が心に呼び戻されたような、しかし決して嫌な感じではなくとても心地好い感じ。
他人と接してこんな感じを憶えたのは初めてだった。
そんな景一の姿をどう思ったのか、主人が店の奥からバーボン・ウイスキーとグラスを二つ持ってきて、人なつっこい笑顔を浮かべ「いけるか、若いの。何、俺も若い頃は何度も辛いことがあったさ。そんな時はこれで忘れてしまえ」と、目の前にドンと置いた。
その夜の景一が座っていたカウンターは、主人との小さな宴会場となった。
酔いはしながらも真剣に話を聞いてくれる主人に、普段は話すことを極端に嫌う、いわゆる身の上を一片も、うやむやにすることなく語った。
いつも笑顔の主人の瞳も、涙で滲んでいたような気がする。
勘定を払い、店を出た時に後ろから「ウチで良かったら、働いていきな」と声が掛かった。
振り返ると、ニカッとした笑顔の主人といつにも増して優しげな奥さんが見送ってくれていた。
口から上手く言葉が出ない、その代わりに、ひたすら、ただひたすらに頭を下げた。
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もしかしてこのハナシの完結に半年くらい掛かったりして(笑)
いや、普通に日記は続けていきます。
話のネタがないときに、書き溜めてあったものをふらっと投稿する感じで。
一年もしたら、見直して、たぶん恥ずかしさで記事は削除するんだろうと思いますが(笑)